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この時代の人物「金新芽長老」


韓国CTV放送(CATV・42ch)2003年5月19日放送
この時代の人物「金新芽長老」(3)日本の学生との出会い


司会者:私たちの言葉で「始めれば既に半分終わった」というのがありますが、お話を聞きながら、長老さんは犠牲とリーダーシップをもって導いていらっしゃって、その村は実に生活信仰共同体と言えると思いますが、その村の現在の家屋数はどのくらいになりますか。

金新芽:50世帯くらいになります。

司会者:27年間、日本の大学生たちが、いわば労働奉仕と言うことができるでしょうか。そのワークキャンプは村を始めて、すぐに始まったのですか。

金新芽:当初、困難にあった時と同じなのですが、その時、神様は彼らを送ってくださったと思っています。私たちは当時、周辺地域から何ら手助けしてもらえないような疎外を受けていましたが、その若者たちが私たちの村に来て、とても熱心に働き、仕事をしている姿を見て、周辺の人たちの認識が変わりました。村の子供たちを学校に送ることにも困難がありましたが、彼らが村に来て熱心に働いてくれるので、私たちにとって、とても大きな助けとなりました。それで、彼らを見ながら、私たちのとても良い友人になれるなと感じ、ありがたく思いました。また、彼らとは歴史が違いし、なじみにくい若者たちであるのに、村人たちと互いに溶け合っている姿を見ながら、私は日本語で話したり、彼らも英語で話していたので、何かしら助けとなってあげたりしました。

司会者:そのワークキャンプは、韓国人と日本人の若者がお互いに出会うということですね。互いに消すことができない過去、歴史的な傷跡を持っているのですが、韓国人と日本人が一緒に働くことを通して、労働を通して互いに出会うということに一つの意味があると思います。また、もう一つは、偏見が持たれている病に対して、一つの場所で一緒に過ごすということにとても大きな意味があると思います。キャンプは一年に一回行なわれるのですか。

金新芽:夏のキャンプの他に、ミニ・キャンプとして春と秋に行ないます。

司会者:では、1年間に3回行なわれるのですね。今までキャンプに参加した学生たちの数は大勢になるのではないですか。

金新芽:私たちの村だけでキャンプをするのではなく、いろいろな村を巡りながらするので、延べ人数だけで2600名くらいになるでしょう。その中で、私が直接、接することができる方たちは数百人になると思います。その人たちの中でも良い友人となっている人たちが何名かおりますし、それは両国の若者たちを通して互いに交わる一つの民間外交ということもできます。

司会者:長老さんは日本の大学などに行かれて講演もされたそうですね。

金新芽:日本の人たちが私と家内を招請して、いろいろな場を巡りながら、療養所に行ったり、一般の会館に行ってそのような機会を設けてくれました。1990年には東京の立教大学から招請を受けて講演をするという機会がありました。ですから、夏のキャンプが終わると、彼らの何名かが私の家に来るのです。韓国語で話たり日本語で話したします。

司会者:長老さんが考える共同体とは何かということについてお聞きしたいのですが、私たちの社会を見る時、自分の利益にさえなればそれでよく、そうならなければ他人を阻害したりしています。また、私たちの社会は経済的に見れば発達したといえるのですが、生活の便利さから見れば昔と比べられないくらい良くなりましたが、心を開いて出会える共同体の美しさはだんだんとなくなって行っていると意識ある人たちは口惜しさを感じていることと思います。長老さんは長い間、そのような共同体を率いて来られて、いろいろな体験を持っていらっしゃると思うのですが、実際に共同体とは、どのようなものが共同体であると思いますか。

金新芽:やはり、村が教会であり、教会が村であるということでしょう。私たちの村ではほとんど全ての村人たちがイエス様を信じて互いに愛し合いながら熱心に生活していますが、そのような姿を見るのは気持ちが良く、どの国にも、誰に対しても誇ることができる、これこそが共同体なのではないかと思います。

司会者:信仰が中心となって生を営んでいる、そのような共同体ですね。人が生きる社会には、うまく生きている人もいればそのように生きられない人もおり、健康な人もいれば病の人もおり、権力を持っている人もいれば持っていない人もおり、それは人間社会のどうしようもない現象であると思います。困難な中にある人は、絶望に陥って生の希望を失ってしまう場合が他の人よりも多いと思います。病のためであるとか、経済的な困難であるためとか、いろいろな困難があると思うのですが。そのような困難な中にある人たちに対して、長老さんから送ることができるメッセージがあればお願いします。

金新芽:特に障害を負っている人たちのために、私はこのような祈りを捧げる時があります。社会や政府が、この弱い立場にある人たちを助け合える社会をなってくれるようにと。特に体に障害をかかえている方たちに対しては、私たちが彼らも神様の子であり、神様の愛を受ける子として愛し合い、主と共に愛を分かち合い、交わることができるように、私たち自身がまず知ることができるようにしてくださいと祈ります。

司会者:どんな障害にあっても、その障害を乗り越えて行くことができる力というか能力は、神様からの力であり神様の愛であるというメッセージを知ることができました。先ほど、最近なさっている仕事についてお聞きした時、人生を生きて悟られたことについて本を執筆していらっしゃるということをお聞きしたのですが。

金新芽:既に初版が出版されています。「たとえ土くれでも」というタイトルで、副題が「道端に捨てられた石が口を開きました」というものです。それを日本語に翻訳して「石ころの叫び」という題名で日本でも出版されようとしています。使徒言行録にある「地の果てまでわたしの証人になれ」というみ言葉を考えながら、私が今できる仕事とは何かを思いながら本を書きました。それで、本を書きながら感じたことは、私は道端に捨てられた石であるのだということです。日本に支配され、打ち捨てられ、我が民族の自尊心を傷つけられ、人に踏みつけられ、汚物をかけられ、自動車が通り過ぎて行く、そのうち捨てられた小石であったのだと知りました。イエス様がエルサレムに入城された時に「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫び出す。」と言われたの石という意味を知りました。あぁ、そうなのだ。私や周りにいる人たちは、そのように道に打ち捨てられた石のように生きて来たが、いまや私たちこそ神様の愛を叫ぶ時なのだ。いまや私たちが福音を叫ぶ時なのだということを感じて、私は本の題名をそのように付けました。私は2千年前のイエス様の言われたその石とは、市民でもない、最底辺で疎外を受け、恩恵も受けていないところにある人々が声をあげるという意味だったのかもしれません。でも今日、この社会の中で最も暗いところにいる人々が声を上げている姿を見る時、あぁ、それはイエス様が今日においてもなされているみ言葉であるのだなということを感じながら、その本を聖書の「石が叫び出す。」というみ言葉に倣って「石ころの叫び」としました。

司会者:長老さんは年齢が80歳になられるのですが、1時間近くインタビューをしていても、少しもお疲れのご様子でもないのを見ると、神様が長老さんを通してなさろうとされていることは多いと思います。神様が健康をくださっていることを感謝し、目がご不自由であるのに、このように遠くまで来てくださって感謝致します。今日は、どうもありがとうございました。

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[原典:韓国CTV放送、菊池義弘/訳]


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