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ニュース ハンセン病 イベント&ワークキャンプ 茂木新聞社

2002年 中国ワークキャンプ(リンホウ村)事前調査

2002年9月9日〜16日

2003年に開催を予定している、中国でのワークキャンプの下見の報告

2002年9月9日 中国・広州へ
広州着。HANDAのDr. Michael Chenと、Ms.Vivian Pengの二人が広州白雲空港に出迎えてくれた。HANDAの事務所のそばにあるゲストハウスへ。広州市内の東圃というところにあるマンションの一室だ。ここを拠点に約1週間、中国での下見が始まろうとしている。



2002年9月10日 ヤンケン村
2001年、2002年とFIWCの中国キャンプが初めて開催された「ヤンケン村」を訪れた。HANDAの事務所から車に揺られること2時間。高速道路をはずれ、でこぼこの山道をしばらく走るとヤンケン村がある。この村は平均年齢67歳、最高87歳と高齢者が多く、義足を付けていたり、指先がなかったり、視力がない、聴力がないなど、村人の多くが何らかの障害を持っている。生活は政府から月150元の生活費が支給され、そこから70元程度が食費となる。さらにHANDAから月30元が支給されていたが、HANDAの財政が厳しいことから、2ヶ月前に打ち切られたという。そのHANDAはIDEA本部やAmerican Leprosy Mission (ALM)など、主に海外から資金を得て運営している。
今回の下見のメンバーのうち2名が2002年の中国キャンプに参加したメンバーで、ヤンケンを訪れていた。村の人たちは、彼らを覚えていたので、とても喜んでくれた。
ワークキャンプで作ったキッチンは問題なかったが、シャワー室のタイルの多くが剥がれていたり、ソーラーシステムで沸かしたお湯が高温な上に水を混ぜることができないため使いづらいなどの問題点があった。今後改善が望まれる。





義足の製作所
中国のハンセン病者で比較的高齢の人たちは、義足を付けていることが多い。その義足も現状ではブリキのものが多く、新しいものではない。HANDAの義足工場は2000年にオープンし、これまでに3000足を作り上げてきた。現在、5人のスタッフが働いている。樹脂と金属でできている義足は1足を作り上げるのに約3日間ほどかかる。1足のコストは約600元。患者は最高で5元を支払う。無料にしないのは「タダにすると大事にしない人もいる」ためだとか。



HANDA QUILTS
マンションの一室にあるキルト工房では7人の女性が働いている。ミシンが並ぶ部屋を中心に、製品の倉庫部屋、事務室など4つの部屋がある。1人を除き、他のメンバーはみな快復者だ。比較的若い年齢の人もいるが、若い快復者は地方出身の人が多い。また、ここで働いているメンバーのほかにも、自宅で制作しているスタッフが各地に74人いる。最近はアメリカから12万元の受注があったという。一人は学校でデザインの勉強をするなど、快復者の社会復帰の場として成功している。



2002年9月11日 潮州市へ
広州からリンホウ医院に近い都市「潮州」へ向かう。移動距離は500km超。5時間半の道のりだ。海岸線に近い高速道路を走り、横目に海を見たり、一面に広がるバナナ畑や、田んぼ、牛も多く見かけた。
潮州は中国の中でもおいしい料理がたくさんあることで有名だ。昼飯なしで走ってきたので、潮州に着くとすぐ食事を取った。
夜、潮州市内にあるDr. Michelの実家でリンホウ医院の院長と潮安県の厚生省の局長に会い、リンホウ医院の様子を聞いた。
リンホウ医院の要求は(1)●(2)●(3)●とあり、総費用は●●元に及ぶ。しかしDr. Michelの判断で、リンホウ医院からの要求すべてをかなえることは無理だと伝えてあるという。
また、住居の新築に関しては、現状の建物を修復または改築することで対応したい。
事前に日本へも送られていたリンホウ医院の写真にもあった井戸だが、ゴミが投げ込まれていたり、色も黒ずんでいて汚染されている。アルカリ性が強いために黒く変色しているという。この井戸は実際に使われており、飲み水としては煮沸して使用しているが、水質検査を行う必要がある。





2002年9月12日 リンホウ医院
リンホウ医院へ行く。宿をとっている潮州からリンホウ医院に一番近い町「古巷鎮」まで車で20分。そこからでこぼこ道をさらに15分、約4km走ると、リンホウ医院の建物が見えた。村の人たちはそこには住んでおらず、さらに500m程離れたところに点在している。
1960年に建てられたリンホウ医院は、最も多いときで300人を超える患者がいた。現在は14人が静かに暮らしている。医院のスタッフは現在10人ほど。医師1名、ほか薬剤師、総務など。スタッフがこれだけいるにも関わらず、患者に適切な処置や生活補助をしている様子は伺えず、やや不信と思わざるを得ない。
患者14人のうち、8人から直接話を聞いた。
村の状況は、村民14人が7〜8つある離れた建物に住んでいる。手、足、目などが不自由な者が多く、比較的軽症な人は2人。この2人が古巷鎮まで買出しに行ったり、井戸から水を汲んで配る、薪を割るなど、体が動かない人の生活を助けている。
井戸はポンプの壊れたものが1ヵ所。溜まった水をバケツで汲んでいる。水道やトイレはない。比較的新しい建物が1棟8部屋あるが、夏は暑くて使えず、昼間は壊れかかった家屋で食事を作るなど生活している。また、屋根に穴が開いていて、中から空が見える状態の家屋がいくつかあり、雨天時には室内に雨水が溜まる。村の中に小さな畑があり、サツマイモなどの野菜とオレンジを育てている。
患者は政府から支給される120元で生活しているが、金が足りない、薬が買えない、適切な治療が受けられないなど、多くの問題を抱えている。また、まったく歩行ができない患者も4名以上おり、軽症な人が世話をしている。現在車椅子はないが、車椅子で動ける環境を作って欲しいという意見もあった。そのほかの意見は、腹いっぱい食べたい、(現在のように点在して居住するのではなく)1箇所に集まって生活するほうが便利、との声があった。









2002年9月13日 現地の大学生を勧誘
韓山師範学院へ行く。第2外国語として日本語を勉強しており、日本語が達者な教師やアメリカの英語教師と話をした。また、授業が終わった後、4年生の生徒のいる教室でワークキャンプの紹介をしたところ、よい反応が得られた。ただ、休みが少ないために11月に開催の場合週末のみ、1月下旬から2月上旬の冬休みなど参加できる日程は限られている。

2002年9月14日
潮州から広州へ戻る。



2002年9月15日 広州の大学生と会う
広東外語外貿大学の日本語学部の学生6人に会った。一人はリンホウ医院のある潮州出身でキャンプに参加したいと言った。中国の学生の多くは、休みが少ないためにワークキャンプを行うチャンスはないという。しかし、海外から自分たちの国のために活動してくれることに感動したといい、興味を持ってくれたようだ。
広州のバスターミナルでバスの路線や時刻を調べた後、HANDA事務所で中国のハンセン病の状況をDr. YangとDr. Michelに聞いた。(このレポートは「中国のハンセン病の状況」ページを参照)

2002年9月16日
広州の大学へ

(今後、更新する予定)
[茂木亮 2002年9月17日]



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