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原告団が集会「小泉首相、控訴するな!」

20010521
2001.5.23 18:20、永田町の日比谷高校星陵会館で、集会が開かれた。
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フリートークでは、次々と発言希望者が手をあげました。

5月21日緊急集会「小泉首相、控訴するな!」

5月21日18時、首相官邸での座り込みの後、東京・永田町で集会を開いた。原告や弁護団をはじめ、江田五月氏など多数の国会議員が出席し、控訴を断念するよう、熱いメッセージを語った。
当日、首相に面会を求め官邸前での座り込みをしたが、要求は通らず、小泉首相に対する批判・要望が相次いだ。

堅山勲さん(52)

常識では門をたたいたら向こうから返事が返ってくるが、何回たたいても何も返ってこない。私たちの前には、隔離を思わせるような門があった。その扉を開こうともしない。
熊本地裁で本当に素晴らしい判決をいただいた。その判決を聞いて多くの原告たちが涙を流した。今まで私たちは、らいになった自分を責めてきたんです。自分が病気になったばっかりに、姉は離婚させられた。自分が病気になったばっかりに、一家は離散させられた。
しかし判決は、らいになったお前たちが悪かったんじゃない。偏見差別を生み出したのは、らい予防法であり、偏見差別を助長させていったのも又、らい予防法であるという審判を下してくれた。私たちはこの判決に涙しました。本当に嬉しかった。私たちは加害者ではなかった。被害者だったんだ。そういう思いで涙したんです。
ところが今、この加害者の側が居直っている。私たちはこの態度に断固として闘っていくしかない。

千葉龍夫さん(61)

小泉首相と同年代を生きてきました。片一方は人間として扱われずに60年を生き、片一方は一国の総理大臣として生きている。
90年の間には23000人のもの人(ハンセン病者)が亡くなられていったのですが、みんな悔しい思いをして死んでいきました。私たちだけじゃないんです。私たちをめぐる家族、親戚一同、みんな被害を受けているのです。
私は昭和27年、小学校6年生の時に発病し、一家全部を消毒されました。そこに居れなかったのです。うつる病気じゃないのに、見てくれが悪いというだけで、島流しにあい、重労働させられ、国は隔離政策をとり続けたんです。結婚もできない、子孫も残せない。
一国の総理として80%以上の支持を受けている小泉さん、私たちの苦しみをわかってください。

日野弘毅さん(67)

太陽は輝いた。太陽は輝いた。
90年、長い長い暗闇の中、ひとすじの光は走った。
鮮烈となって硬い岩をも砕き、光は走った。
私はもう、うつむかないでいい。
太陽は輝いた。

熊本地裁の判決に感動して、このうたを作りました。みなさんに披露して、喜びを知ってもらいました。
2週間たった今、あの判決が踏みにじられようとしています。小泉さんにお会いして私の気持ちを伝えたいです。

[2001年5月21日、茂木亮]

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