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NIRVANA 007

写真詩集「津軽の声が聞こえる」
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桜井哲夫氏の誕生祝賀会と写真詩集の出版記念会 前2回にわたってご紹介しました、国立療養所栗生楽泉園に在園中の桜井哲夫氏、通称てっちゃんの誕生祝賀会が、写真詩集「津軽の声が聞こえる」の出版記念を兼ねて、東京のホテルで開催されました。てっちゃんは、80歳になりました。長いお付き合いのある金正美さんと、放送、出版、芸能の各界から大勢の方々が参加し、人々の優しい心が静かに漲る会でした。主催者で一切の面倒を引き受けられた、化粧品会社(ステファニー)の社長、一家明成氏と従業員の方々の、献身的なご努力があってこの日を迎えたことが、一同の心を打ちました。また一家社長はご挨拶で、万感胸に迫るものがおありだったのでしょう、声を詰まらせておられました。私にもご挨拶の機会をいただきましたので、4ページにその一部を抜粋致します。

[楽泉園 並里]

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訪問の日に入院してきた子供と
入院患者を慰問
© NIRVANA 2004
<人物紹介> 村田長治さんからのおたより

昭和25年ごろまでは、結核が日本における死因のトップで、結核の早期発見、早期治療が最重要課題となっていました。そのころ私は、結核の診断に無くてはならない放射線技師の道を選び、昭和30年以降、保健所を基点に、学校、事業所、住民の結核集団検診など、国民病の結核と格闘する毎日が続きました。

昭和45年からは、三重県の保健予防課の行政事務に移り、(財)結核予防会三重県支部の事務局長を勤める一方で、ハンセン病予防係業務を兼務することになりました。これ以後私は、ずっとハンセン病との係わりを続けています。現在も全国の療養所を周って、三重県出身の在園者の皆さんとの交流を続ける傍ら、私たち夫婦は、FFSC(ストリートチルドレン友の会)の仲間とともに、ベトナム・ミャンマー・カンボジアのストリートチルドレンの支援と、ベトナムのハンセン病病院やハンセン村を訪問しております。

© NIRVANA 2004

[三重県ハンセン資料編集委員長 村田長次]

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ベトナムのハンセン病

ベトナムはかつてハンセン病の蔓延国で、特に山岳地帯で罹患率が高かったようです。1978年の調査では、ベトナム全土に20万人前後の患者がいて、罹患率は人口1万人あたり約40人という推定値が出されました。他の多発国に比べても、きわめて高い有病率です。

ベトナムには、北部、中部、南部にそれぞれハンセン病の専門病院がありますが、私たちは南部ホーチミン市のBEN・SAN(ベンサン)病院を訪問しました。ここはカトリックの病院で、現在230人余が生活しています。レ・バン・チューク所長とシスターの案内で、病棟の患者さんたちをお見舞いしました。入院患者数は減りましたが、地方ではまだ差別感情が色濃く残っており、地域で生活ができなくなると、このような医療施設に避難する形で入院するようです。医療・生活費は、政府と病院の関係機関が出資しますが、運営は楽ではありません。以前は、日本の財団からも援助を受けていましたが、1995年にWHOの定める制圧レベル(人口1万人に患者1人以下)を達成した後は、その援助が途絶えました。

社会復帰に際しては、僅かな援助が出ますが(約1,145円)、社会で自立して生きていくのは、易しいことではないようです。2003年9月、私達の訪問した日に、13歳の新患者が入ってきました。ここでは結核もハンセン病も、まだ道のり半ばとの思いを強くしました。政府のODAやマンモスNGOの手が届かないところに、私たちの小さな灯火運動の輪を広げたいと思っています。この人たちの平和と健康を願って、私の大好きな東南アジア諸国を、家内や仲間たちと共に歩いています。

[三重県ハンセン資料編集委員長 村田長次]

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山の上に建つ楽泉園は、坂の多いところです。桜井さんは、不自由者棟にあるお部屋から坂道の廊下を通って、リハビリや治療棟に通います。てっちゃンマークを付けたかばんをかけて、杖で誘導手すりを探りつつ、静かに歩きます。そんな様子を見て、「今何を考えているのかなあ」と、想像します。

てっちゃんはそんな時、とんでもないことを考えているのです。ある時はパキスタンで難民親子に緊急物資を配り、ある時はタイの山奥で井戸を掘り、ミヤンマーの農村でハンセン病患者の足の傷を治し・・と、世界中を駆け回っているのです。

療養所はとても広く、小さな身体は僅かにお決まりの場所を移動するだけですが、いつか彼は、私にこんなことを言いました。「俺にはここが、狭すぎるよ」と。私はすかさず言い返しました。「てっちゃンの心は、ここにじっとしてなんかいないよ、世界中飛び回っているじゃない!」。

てっちゃんには、想像を絶する苦難の歴史があるはずです。でも彼の作る詩には、ぬくもりと救いがあります。与えられた運命を受容し、昇華し、さらに美しく外に向かって独自の花を開かせました。そして今日このお祝いの席で、私に「アジアのハンセン病」を語れと言います。なるほど彼らしい提案で、私はありがたい機会をいただくことになりました。

[楽泉園 並里]

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世界で1年間に新たに診断されるハンセン病の患者さんは、60万人ほどですが、その約8割が、アジアに集中しています。

ハンセン病のイメージは大きく変わり、早期発見・早期治療によって、今では障害無く治せる病気になったと言えます。

ハンセン病の治療薬は、途上国では無料配布されます。しかし病気は治っても、しばしば手足に知覚麻痺を残し、火傷や傷の危険にさらされています。このような手足で毎日働き、生活の糧を得なければなりません。ハンセン病の薬は無料ですが、怪我をした時の薬にまでは、手が回りません。途上国では、きわめて重症の傷を持つ患者さんにしばしば出会いますが、薬はとても高いものです。ハンセン病に由来する障害者は、世界に200万とも300万人とも言われています。

その国の保健衛生を評価するのに良く使われる指標の1つに、5歳以下の乳幼児死亡率があります。日本では、1000人当たり5〜6人ですが、多くの途上国では、およそ120人またはそれ以上で、日本の20倍以上の子供たちが、5歳までに命を失います。またこれらの国々はマラリアや結核の流行地でもあり、医療スタッフは限られた財源で、命を奪う多くの疾患と戦わねばなりません。

一方ハンセン病は、直接生命を脅かすことは少ない疾患です。しかし末梢神経の障害に由来する、さまざまな後遺症をもたらしやすいことはご存知のとおりです。実に、「命はわないが生活を奪う」と言われてきた疾患です。しかしこのような疾患に、途上国の政府が力を注げる余裕はありません。僅かに小さなNGOが、細々と地域に密着した活動を続けています。世界に名を馳せる巨大なNGOは、潤沢な資金を背景に、華々しい援助で多くの人々に貢献します。一方痒いところに手が届く援助は、小さなNGOが得意です。私たちは、ミヤンマーやヴェトナムなどで、現地に密着した援助を続けています。小さな組織にできることは、極めてわずかですが、何人かの手や足を、救ったことは確かです。また新患者が後を絶たない小さな村で、現地政府の協力を得て、予防投薬の試みを始めました。私達にできることは、まだまだたくさんありそうです。これからもてっちゃんと協力しあって、そんな活動を発展させたいと願っています。

[楽泉園 並里]

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<クマさん日記>サバンナの植物

半乾燥地では土壌の養水分の制約から植生域が限定され、植物は局地的に群生する。またそれぞれの個体も工夫を凝らし、葉が鋭い針のように棘化したサボテンや、更に進んで一糸まとわぬ全裸を曝し、涼しげな顔をしているユーホルビアなど、見事な工夫で耐乾性を高めている。また葉を持たずに幹に葉緑素を持つ植物や、明け方に糸玉を丸めたような球になって砂の上を転がりながら夜露を集める苔もある。種子の結実や伝搬の仕方も様々で、多雨年のみに発芽・結実する稲科のフォニオは、発芽後2週間で結実する。一方伝搬も、動物に運ばせる他、地表面を走る風を利用して滑空するもの、季節風のシュロコに乗って移動するなど、実に多様である。

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利子さんの「譜を読む」お便り

「お化けの出る曲はど〜れ」 ショパンのポロネーズ40の1,2

先日、ショパンのこんな逸話に出会いました。

「ある晩ショパンが自分の演奏に陶酔していたら、ポーランドの貴族が男女一組で一列になり、彼の部屋に入ってくる幻想に襲われた。この幻影があまりに真に迫っていたので、恐怖のあまり部屋を飛び出し、友人の画家の家に一晩泊めてもらった。」その曲は「イ長調40」(軍隊ポロネーズ)または「変イ長調53」(英雄ポロネーズ)のどちらかといわれているが、ショパンのいない今では分からない・・・。それでは、と"いっちょかみ(一丁前)"の私メが、読んで決めることにいたしましょう。だって私の仕事は、「譜を読む」ことですから。

結果: 40には「1」と「2」があり、「2」の方に亡霊が登場しました。亡霊たちは、当時(1800年代)のポーランドの凋落を嘆き、あの世から戻ってきて扉を叩きます。扉は開かれて曲が始まります。憂鬱な顔の亡霊達ですが、民族のリズムで一曲踊ると気が晴れたのでしょうか、一ヵ所に集合し、ゾロゾロとまた黄泉の国へ帰っていきます。40の「1」を弾いているうちに、「2」の方の幻影に襲われたものと決定しました。

我々も思いがけずに仕事がうまく行った時など、お風呂で鼻歌が出ます。その曲が、年とともに演歌だったりするものです。民族のリズムは、その民族を和らげたり、力づけたりすることができるのでしょう。

参考:当時ポーランドは、ドイツ、ロシア、オーストリアに分割されて自主権を奪われていました。「ポロネーズ」とは、ポーランド風の、男女の貴族が2人1組で、縦列行進するときの伴奏音楽。

[桑原利子]

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<多絵ちゃん便り>

高校の卒業記念に、寮監・寮母夫妻のお誘いを受けて、ネパールに夫妻の友人(ネパールの貧しい村で看護士として働いている)を訪ねました。

勇んでカトマンズ空港を出たところで、現地の小学校高学年ぐらいの男の子数人に道を塞がれ、「ジャパニーズ、1ルピー プリーズ!」と口々にせがまれて身動きができなくなり、ほうほうの体でタクシー乗り場にたどり着きました。

この日の夜は、ちょっと豪華にネパール料理。本場のラッシーやチャイを楽しんで帰る途中、またまたギョッとする光景に会いました。ゴミ置き場で小さな子供達が、まだ使えそうなゴミやビニール袋を、必死に探しているのです。この子たちに家があり、今夜の1食が与えられることを願わずにはいれませんでした。

[岩井多絵]

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平成15年度の会計報告
支出 (円) 収入 (円)
疫学調査 388,692 繰越 34,400
連携組織へ寄付 13,000 講演・原稿 154,100
文具・書籍 62,252 献金* 243,962
国内送料 43,770 受賞関係 170,000
国外送料 42,440
合計 550,154 合計 602,462

*献金の内訳:楽泉園在園者3名 正木彰彦 (敬称略)

その他

1 元楽泉園在園者のご遺志による援助
 ヤンゴンDMRでの調査に関するもの:PCR機器と必要備品 466,330円

2 ヤンゴン国立研究所(DMR)での活動支援(600 US$)と、
 バゴーでの調査協力費:320 US$  合計:920 US$=約100,280円

支出合計:550,154+100,280=650,434円

収入合計:602,462円
収支:△47,972円

2003年度の主な活動

ミヤンマーにおけるハンセン病の疫学調査

バゴー管区の村での4年間の疫学調査を基に、現地政府は予防投薬を決定。

ヤンゴンの特別皮膚科クリニック(YSSC)で、ハンセン病治療薬の薬剤耐性検査が進行中。

連携組織(TMRC)と他の友好団体(BAC)から、現地で必要な抗生物質の供与を受けた。

ヴェトナムでの肝炎調査:感染危険度が高い集団における、ウイルス性肝炎の調査支援(技術と消耗機材)。

[編集部]

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<クマさん日記>ミツバチ

よい香りを放つ香料植物が、なぜ植生密度の乏しい半乾燥地に多いかについては、受粉の確率と関係がありそうだ。

植生密度の濃い高温多雨地帯では、昆虫が甘い蜜源を見つけるのに大した労は要らない。ミツバチは、大量の貯蜜の必要がなく、採蜜もほどほどにしか行わないので、養蜂業が成り立ち難い。

一方植生密度が疎で、植物の群生地が限定される乾燥地では、広大な面積を蜜捜しに飛び回るだけでも大変な苦労が要る。そこでミツバチは、匂いを頼りに飛び立ち、花の咲く群生地へと飛行する。乾燥地の植物は甘い匂いを放ち、客寄せに努める。だから複眼で遠くが見にくい昆虫でも、容易に蜜源を見つけられる。

昆虫の遠距離飛行を容易にする条件の一つに、地表面を流れる上昇気流がある。カモメが、海面を渡る僅かな上昇気流に乗り、羽ばたきもせずに海面すれずれに滑空している様子をしばしば目にする。

乾燥地でも、海面に似た上昇気流がある。昆虫は、渇いた風に運ばれる埃っぽい匂いの中に花の香りを嗅ぎ分け、蜜を求めて飛行する。彼らは風上に向かう時は、風力の影響を受け難い上空を飛行し、帰路は地面すれずれに吹く速い風の流れを捉えて移動する。

フオン・フリッシュ博士(1973年、「ミツバチのダンス言語」でノーベル賞を受賞)によると、餌場が巣から100m以内は演舞ダンスで、それ以上は8の字ダンスをするのだそうだが、アフリカ地中海沿岸地方の半乾燥地で見たミツバチの餌場情報は、ダンスではなく、音波伝達に依存しているようだ。また西アフリカのサバンナ地帯ブルキナ・ファソのナレ村で観察した野生ミツバチの餌場情報は、十数メートルの樹上に剥き出しになった巣の上で、太陽に腹を照らしながら尻を高々と上げて踊るものだった。

NIRVANA第7号で紹介している書籍のご案内
津軽の声が聞こえる
桜井 哲夫詩、鍔山 英次写真
税込価格:3,200円
出版:ウインズ出版
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[NIRVANA 第7号、2004年7月]

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