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韓国のハンセン病快復者定着村について


忠光農園

日本の統治下での強制隔離政策や朝鮮戦争の混乱から脱出した韓国は、1960年代より、ライ快復者(ハンセン病快復者)の社会復帰のための方策として、「定着村」作りを始めました。それは、ライへの差別や偏見が快復者の個人的な社会復帰を困難にしていたため、集団である土地に入植し、農業や畜産で生計を立てていこうとするものでした。

現在、韓国に90ヶ所ほどの村があり、小は20人位の村から大は1,000名まで規模は様々です。その中に韓国のライ快復者の約3割、約12,000人の人達が、その家族約13,000人と暮らしています。村の生計は養豚、養鶏等の畜産に依るところが多く、全定着村で、韓国の卵の生産量の約3割を生産していると言われるほどになっています。

入植当時は、周りの村人の反対や、生活難で大変な苦労がありました。偏見のため子供達が地元の学校に通えず仕方なく村に分校を作っていた村もかなりあります。しかし、彼らは、教会を精神的な支柱に、畜産組合を経済的な支柱にして努力し、家族を営み、子孫達の発展を夢見ながら村を豊かにしてきました。

経済的な発展は周辺の村との交流を活発化させ、畜産をやるために定着村に入ってくる一般人も現れ始めています。そういう、交流の活発化や、子供達の歓声を目の当たりにすると、日本のらい療養所の、子供の声のしない状態がすごく異常に思えてきます。

無論、今の定着村に問題がないわけではありません。後継者不足や、老齢化は深刻な問題になっています。障害のある彼らが老齢化していけば当然生活力は落ちていきます。定着村は自主自立の村ですから、そう特別な政府の補助があるわけではありません。(医療は無料、最低保障の食糧、燃料費の補償あり)私は、先日、1978年来の知人である定着村の70歳の盲人の長老金新芽(キムシンナ)さんの話を聞きました。彼は、不自由度を増していく自分を感じながらも「小鹿島(国立療養所)へは絶対帰りません。帰ったら何のために定着村を作って外に出てきたか分からなくなります。ここで生活できるように社会の制度を変える努力をしていきます。普通の一障害者として暮らせるように努力をします。」と強い口調で語りました。私は穏和な彼のいつにない口調に驚いたと共に、彼と日本の療養所にいる人達との大きな差を感じました。

らい者を完壁なまでに閉じこめ撲滅しようとしたことで彼らの自立を奪ってしまった私たちの日本社会と、多少問題はありながらも社会に帰る方法を講じた韓国社会の有り様を比べるときどちらが、病と共生できる文化の豊かさを持っているかは、はっきりしていると思います。

[柳川義雄、1998年(2003年更新)]

文中に「癩(らい)」や「癩病」、「癩患者」などと表記されていることがあります。ハンセン病のことを癩と呼んでいた時代がありますが、「癩」には差別的な意味合いも含まれるという意見もあり、現在は「ハンセン病」としています。本ウェブサイトでは、過去の文献で表記されている場合や、著者の意向を尊重した場合など、「癩」と表記されている場合があります。「癩」という言葉は、使い方によって差別的な意味合いを含むことがありますのでご注意ください。

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