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コウン農場

工業団地の育成で明るい未来を開く コウン農場

京義線の鉄路に治ってムンサンヘと向かう国道を走り、陵谷を経由しウォンダンを過ぎると、まもなく二車線のアスファルトの道路沿いに大きな看板が見えて来る。そして、そこに書かれた百余個を越える企業名が大規模工業団地の入り口に来た事を敢えてくれる。コウン農場が立っているこの土地はつい十年程前まで何の使い道もない、捨てられたも同然の野山だったが、最近になって百余個を越える中小
の工場群が建てられるようになった。そのためどうも「農場」という名前は似合わないのだが、そもそもこの村は今から十余年前に、一定の職も持たずに当て途もなくさまよっていた三世帯のハンセン氏病回復看たちが、自分たちでお金を出し合って土地を購入し、生活の基盤を手にした事から始まったという。その後、数年が過ぎ、韓星協同会を中心にした定着事業が推進されるようになると、一九八三年十二月二十五日にソウル市内に居住しながらも生計が漠然としていた四十五世帯が移住して来て、本格的な定着村として形作られて行った。そして、当局の支援の下に住宅や畜舎が建設されたのだが、ここは全国にある定着村の中でも最も遅く定着した方の部類に入る。
彼等が畜舎を建てた時、この土地は陰地に属した取るに足らない丘陵地帯だったが、それから四年の歳月が過ぎた今日、全国で最も安定した農場となった。

*コウン農場の地理的特性
ソウルに近くハジュ郡とも接している高陽郡(現在、高陽市)は、朝鮮朝九代の王である成宗の時に郡となった所で、有名な季州山城、西五陵、ビクジェクァン、コボン山城、アチヤ山などの古跡があり、六・一五動乱(朝鮮戦争)休戦後は西部前線の重要地域として、首都圏防衛上の要衝になっている。第三共和国の時代になると、ここは国土総合開発計画によって飛躍的な発展が期待された地域となったが、一九六八年一月二一日に北朝鮮の武装ゲリラが侵入する事件が発生した事によって、その後二十年間、開発が一切中断されてしまった。このような地域的特性から、大部分の住民たちは野菜栽培等の近郊農業と稲作を主軸に生計を営んできた。
一九八三年、当局の政策にしたがって現地に定着するようになったコウン農場の村人は、他の定着村と同じようにやせた土地を効果的に利用するために、畜舎を建て、鶏や豚を飼い始めた。ただ幸いだった事は、国内人口の三分の一が密集しているソウル市が村から数十分以内に往復できる位置にあるため、畜産物の流通を容易に行う事ができた。五十余世帯、二百余名に近いコウン農場の村人は現在、無秩序だったそれまでの生活を全て一掃し、誠実と勤勉によって畜産物を生産しながら施設を広げて行っている。

*畜産改良を通した工場賃貸
定着当時からコウン農場の運営委員長として働いて来たチェ・スソプ氏は畜舎を増やし始めてからちょうど一年目に、ぴっくりするような新しいプランを村人たちに示した。それは畜舎を改造して、中小企業に工場として賃貸しようというものだった。
当初、状況を充分に飲み込めなかった人々は、安定した基盤を揺り動かすような危険な冒険であると考えて抵抗したが、チェ・スソプ運営委員長はこの事業を頑固に押し進めて行った。何人かの村人の不安気な心情がわからないわけではなかったが、誰よりも国家経済の流れを詳しく把握していた自分自身の判断を信じていたのだ。彼は平素から顔見知りの中小企業家や都心から工場を移転しようと考えている企業家たちと会うために、身銭を切ってでもあちらこちらを訪ね歩き、状況を説明しながら自分の考えを伝えてまわった。ちょうどその頃は、ソウルの中心部で工場を運営している中小企業に対して、市の外角ヘ工場を移転するようにという指示が行政当局からも出されていた時期であったため、彼の渉外活動は容易にはかどった。
しかし、心配事もないわけではなかった.対内的には、工場の誘致に対して今だに懐疑的な見解を持っている住民たちの説得であり、対外的には、工場移転を希望する業者らの反応が気になった点だった。そこで彼は同じ考えを持った農場の中堅指導者たちと共に、工場使用を希望する企業家たちの意向を見定めながら施設を補完し拡張させて行く事にした。そして、「決して利己的な利益追及ではなく、全村民が一様に利益を侍られる仕事の場を作るために常に最善を尽くして来た」という彼の努力は、やがて結実するに至った。
村を訪れ何棟かの施設を点検してみた企業家たちが契約を求めて来た時、彼は自信を持って推進して来た事業がこれでついに成就したという喜びよりも、むしろ零細畜産のくぴきから抜け出して、生活の安定を手に入れられるんだという感慨で心を弾ませた。
その後、契約を希望する人々が一日に何回も訪ねて来たため、瞬く間のうちに施設が不足するようになったたため、それまで憂慮していた村人たちも互いに先を争って畜合を改良し、工場として賃貸し出すようになった。そして、そのようにコウン農場の建物を借りて使おうとする業者が増え始めると、それまで村人が個人的に持っていた土地の上に、新しい施設が一つ二つと立ち始めた。しかし、その大部分が開発制限区域(グリーンベルト)に指定された地域内にあったため、建築許可を受けるのがなかなか難しかった。
また、その一方で畜舎を一棟でも持っていた村人は工場に賃貸して生計を繋ぐ事ができたが、畜舎がない村人はさらに気の毒な状態に落ちるしかなかった。そして、仮小屋を立ててでも畜産を続けたいと願う村人も、騒がしく機械音がうなる環境の中で家畜を飼う事は不可能なため、進退を悔めるしか道がない状態に追い込まれた。そんな彼等を見てじっとしていられなくなった農場の指導者たちとチェ・スソプ委員長は、開発制限区域の変更と建築許可を得るために方々へ申請を行なった。現行法において可能な範囲内で施設を最大限に拡充し、村人が一様に恩恵を受けられるように一線の行政官庁を始めとして中央の部署に至るまで、農場の指導者たちはありとあらゆる場所に出向いて可能性を探っているが、今だに良い返事は受けられずにいるそうだ。

*村人の宿願である施設物の養成化対策
ここコウン農場ばかりでなく、全国の定着村の大部分の建物は養成化されていない事で金融税制上の多くの恩恵を受けられずにいるため、可能な限り全ての建物の養成化が急がれなければならない。特にコウン農場の場合は早急な問題である。とにかく、行政当局の政策的な支援さえ保障されれば、コウン農場の未来は明るいといえる。様々な農場で実証さて来た事のように、全国の定着村に全てコウン農場のような条件が備われば、無理な労働による健康の悪化を未然に防止できるようになるのはもちろんの事、施設賃貸で生じる付加価値も高くなる事だろう。
特に長期的な沈滞局面に入った畜産業界の現実を考えれば、何らかの形で持続けて行ける職業への転換が必要であるといえる。

*自治防犯隊の構成と治安対策
わずか数年で四十世帯にもなったコウン農場の変化は奇跡のようである。しかし、その一方で急激に増えた施設と収容人員の管理は大きな問題となっている。百五十個以上の企業が率いている従業員の数は三千余名にも達しており、一般の行政官庁の力も及ばない事から、秩序と治安を稚持するための自治機構の構成が不可避な立場となった。
これに対してチェ・スソプ委員長は農場の運営委員たちと協議をして、自治防犯隊を結成し活動をし始める事にしたという。村の運営と管理を合理的な方法で処理しているため、今までこれといって大きな問題は発生していないが、増え続ける人員を効果的に管理するため指導者たちは常に気を張りつめている。
しかし、そのように経済的な問題を容易に解決して行くのはよい事なのだが、その一方でそこには憂慮される問題も含まれている。賃貸業によって自分が本来行なうべき仕事が奪われたという村人の心情に対して適切な対応を怠っていると、生産性の欠如という新たな問題を呼び込むかもしれないという点である。「人間が生きて行くために最も必要な物は誠実さと勤勉である」と語った哲学者もいたが、コウン農場の村人も、万一可能ならば、現在、企業が生産している工業品を直接作って行くという長期的な対策も考えて行かなければならないと思う。勤勉節約を自ら実践しっつ、定着村という過去のイメージを一掃して行く時、明るい未来が約束される。畜産が定着村の生業という固定観念をやぷリ、新しく変貌して行くコウン農場の今後は明るいと見なければならないだろう。その明るい光が色あせず長くさわやかに輝き続ける事を願いながら、コウン農場の紹介を終えたい。

[原典:「韓星」(韓星協同会発行)、日本語原典:「灯の村」菊池義弘/訳・編]

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