モグネット ホーム インフォメーション お問い合わせ サイトマップ
ニュース ハンセン病 イベント&ワークキャンプ 茂木新聞社

定着村とはどういう村か? 〜金新芽氏の講演から〜


畜産の事業で発展した忠光農園

第一は、神様が一緒にいて私たちを守って下さったという事です。ヤコプの一行を守って下さった。父なる神様が守って下さったのと同じように、私たちは神様の恩寵の下で生きて釆た。それが非常に重大な問題です。韓国の定着村にはどこでも教会があります。プロテスタントが一番多いのですが、聖公会も一つあります。それからカトリックもたくさんあります。とにかく、村の真ん中に礼拝堂や聖堂が建てられていて、その教会を中心にして村が営まれて行くのです。だから、私たちの全ての生活、全ての村の事件、いろいろな行事などはいつも神中心、信仰中心で行なっているのです。
私もこの村に着手した時には二つの事を掲げました。一つは、私たちは神様を信ずる。信仰で生きて行きましょうという事。もう一つは、私たちが一生懸命にやるのは畜産、社会の人たちがあまりやらない畜産を熱心にやって生きて行こうという事。それらを掲げて村を始めました。そして、百いくつかの村が成功しました。その原因の最も大きなものは、今言いましたように、神様が一緒にいて下さったという信仰なのです。


 二番目としては、やはり長い間病気で鍛えられた一つの生き方が、彼らを強くしていると思います。病気と戦いぬいた意志。そこで鍛えられた意志が、彼等を自活という難しい中でも生きて行けるようにしたのではないかと思います。
三番目としては、過去に療養所に集まって、お互い愛しながら一緒に助け合って暮らして来たという協同精神です。お互いに助け合うという一つの協同精神ができているのです。それが非常に重要な原因ではないかと思います。
四番目としては、いろいろな人々が集まって来ると、皆それぞれに技術を持っているのです。左官をやる人もいるし、大工さんもいる。いろんな方面から技術者が集まっているから、そういう技術をお互いに教え合うのです。畜産というのはやってみるといろいろな技術が必要なのです。だから、自分で左官をしたい、大工をしたいと言って何でもやれば、畜産というものがよくやれるのです。そのような意味で私の村などの場合は、あまり人の手を借りないで、皆で家を建てたり道を作ったり、いろいろな事が全部できるのです。そういうのが非常に便利な条件なのではないかと思っています。
このような精神的な訓練などによって、結局、教会が建てられ、組合が作られるのです。その団結心から、組合や組織が立派にできているのです。みんな金はあまりありませんが、その代わりにお互いに助け合って団結して、信用組合とか畜産協同組合を作るのです。そして、それが立派に成功しているのです。だから、そういう組織がしっかりとできているから、例えば飼料会社などからも協同組合の名前で餌がもらえるのです。そのような組合組織が非常によくできています。
五番目としては、私たちの職業が畜産であるという事です。ちょうど、イスラエル民族がエジプトにいた時に、エジプト人が嫌がっていた畜産をゴセンという草原で行ない、立派に成功したように。百くらいある定着村の大部分が農業よりは畜産で成功しているのです。本当は、鶏などは私たちが手をつける前までは、一つの投機行為でした。安全性がないため誰もなかなか鶏には手をつけられないのです。しかし、私たちがこの養鶏を始めてからは、今では、もはやそれは投機行為ではなくて、一つの立派な事業になっています。それが成功したのですね。私たちが成功したその実際的な鍵は、鶏を飼う事.まぁ、豚や牛も飼うのですが、それよりもまず鶏で一番成功しているのです。私の村でも十年間にいろいろな試行錯誤がありました。初めは豚を飼ったり牛を飼ったりしたのですが、それから多くの定着村の例にならって鶏をやって、今ではもう二十万匹くらいいます。チョン・オクファン氏は一万匹くらいやっていますが、それがこの頃は非常な高値で取引されています。とにかく鶏で成功しているという事です。
それと、この事産というのは非常に正直な職業なのです。努力すればそれだけ卵が取れるとか、豚が育つとか.まぁ、市価の変動で困る事もたくさんあるのですが、とにかく畜産で成功しているのですね。それで子供たちを立派に学校に送っているのです。
そういう事で、払は訪ねて来る大学生さんなどによく言っています。「あなた、卒業論文に定着村の発展歴史をひとつまとめてみなさい。材料は私があげますから・・・」と。特に社会学をやっている者たちには、「定着村の歴史などはたいへんな論文になるんですよ」と言いますけれどね。
この短い時間ではなかなか説明できませんが、とにかく、このチョン・オクファン氏などは若い身で来たのですが、その時は、11、2年前の私たちの村の状態ですね、それは荒野と同じだったのです。本当に恥ずかしい話なんですけれど、乞食のような生活を五、六世帯がしていたのです。そこへたまたま頼まれて、まぁ、盲目であるにもかかわらず、私はチョン・オクファン氏をつれて行きました。ちょうど、その時に日本のキャンパーたちが来て、いろいろと助けてくれましたけれども。とにかく、その時の状態と今の状態が完全に違っています.今は立派な家も建てられてね。畜産もその時は全国から「あそこの村ではできない」とか、「君がめくらの身で、そこに教会を建てたり、村を建てたりできるか」というような蔑み、そういう面で非常に無視されていたらしいのです。私はその時は分からなかったのですが、後で聞いたら、皆がそのような話をしていたらしいのですね。しかし、最近はどの定着村からも「いやぁ、忠光農園はいいなぁ、立派だ」というような良い評価を受けているのです。とにかく、十何年かの村の歴史が今の結果になったというその理由が、今の話で説明できるのではないかと思います。
そういう面でよく多くの人々に言うのです。「私たちは非常に祝福されている」と。この村の性格は、村と教会が別ではないのです。村が教会で、教会が村なのです。ですから、一つの村で五十何世帯、百何十名くらいの人々が集まっているのですが。人間ですから、時には何かこう、気分を悪くする事もあるのですが、一つの立派な共同体として生きているのです。それが現在の村の姿にしているのではないか。やはり、そういう意味で、キリストの父なる神は私たちの心を清くし、私たちの心に和らぎと慈悲を与え、お互いにいたわり合いながらやって行くようにしてくれているのではないかと思っています。

次のページへ

(1990年11月  立教大学での講演から)

[原典:「灯の村」菊池義弘/訳・編]


定着村とはどういう村か? 〜金新芽氏の講演から〜
金新芽 講演(1) ハンセン病という暗い問題に耳を傾ける姿勢に感動します
金新芽 講演(2) 自分たちの手で作り上げた定着村
金新芽 講演(3) 畜産の事業で発展した忠光農園
金新芽 講演(4) 定着村はやがて一般の村へ


モグネット https://mognet.org