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韓国における定着村事業の歩み


癩陰性患者の検診
柳駿氏はこの時の話を次のように語った。
「ある日、チョン・ヒソプ長官と会って、定着場で生活する陰性の癩患者たちを選び出す方策を論議しました。私はこの事業をもっと円滑に行なうためには官のカが必要だと言い、また、チョン長官も、これにうなずかれました。この時、私は軍医官を動員すればいいと言ったら、チョン長官はためらわずに、そのようにしてやろうと言い、すぐさま、数名の軍医官を送って来てくれた。」
このように軍医官たちを率いてまわると、仕事は実にスムーズに進んだ。
この検診事業を簡単に説明すると、まず、集団部落を訪ね回りながら検診を実施し、その結果が陰性として現われれば、そのまま定着させ、陽性として現われれば、その患者を国立癩病院へ送る。また、その反対に、国立癩病院で陰性者が見つかれば、定着地へ送るというものだった。このような事業は継続事業として、その後も支部が中心となって、政府からの支援を受けながら続けられた。一方、1961年末、政府によって推進された3つの定着部落の入居式が完了した後、何日かたった1962年1月6日の午後2時、大韓癩協会は宣明会・特殊皮膚治療所の協会事務室で臨時の理事会を開いた。

1962年度の救癩事業
この日の理事会では、1962年度の事業計画が討議され、国立5ヵ所、私立38ヵ所の癩患者収容所の施設経営状況と1500名の収容患者の身上調査を実施する事が決められた。これとともに全国に散在する未収容患者の身上調査も一緒に行なう事とされ、在家患者たちのための対策としては、癩患者たちが分散している地方に2つの移動診療班を設置して巡回治療をするようにし、また、患者の治療上、往来が便利な地方に、3つの外来診療所を設置し、運営する事などが論議された。
一方、この年の3月、政府の方でも癩管理事業計画を確定した。この政府の癩管理事業計画を大まかに見れば、(1)陰性者走者、(2)自立費用の補助、(3)伝染性患者、及び浮浪患者の収容、(4)癩移動診療班、及び外来診療所の運営などである。特に、私立、及び集団収容所で自立が可能な患者を選んで、現地に定着させるための予算として2200万ウォンを計上し、その対象人員として1870名を見積もった。また、伝染性患者と浮浪患者の収容のために1250万ウォンを計上し、その対象人員として2100名を計画した。最後に、4200万ウォンの予算で、3つの移動診療班と3つの外来診療所を通して、私立施設に収容されていた患者と在家患者を診療するようにした。
このようないろいな事業を通して、大韓癩協会と政府は患者たちに、癩病は治癒されこれからは自分たちの能力で生きる事ができるのだという希望を与え始めた。この時までは「癩患者は、知らずに三年、知って三年、腐って三年」という言葉があからさまに言われるくらいに、癩病に対する認識はまるでなってない状態だった。

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[原典:「福祉」(大韓癩管理協会発行、1974年11月から1976年12月まで連載)、日本語原典:「灯の村」菊池義弘/訳・編]
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